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2001年6月 


2001.06.30
Sat
06:18

●2001年06月01日(金)
The Austere Academy/Lemony Snicket 

ヴァイオレット、クラウス、サニーのボードレールきょうだいの「不幸な出来事」シリーズ第5巻。 今回3人のきょうだいは、学校に預けられる。この学校の副校長であるネロは、自らを偉大なバイオリニストであると称して、生徒たちに毎晩自分のバイオリンを聞かせるのを日課としている。その腕前たるや、バイオリンを弾けない人がバイオリンを弾いているといった程度。このネロはまた人の口真似ばかりしており、それがどれほど不愉快なものか、改めて思い知った次第である。

この学校で、きょうだいにダンカンとイサドラという友達ができる。二人は三つ子(だったのだが、一人は死んでしまった)で、同じく孤児であった。 副校長のネロをはじめ、毎日自分のくだらない話を書き取りさせる、バナナばかり食べているゴリラみたいな顔のレモラ(コバンザメ)先生、何でもかんでも寸法を計らせるバス(ブラックバスなど)先生、そして意地悪な生徒のカーメリータ・スパッツと、とんでもない人物ばかりの学校だが、そこに新任の体育教師、ジェンギスがやってくる。

彼こそまさにオラフ伯爵その人なのであるが、例によって大人は誰も信じない。ジャージにハイカットの高価そうなスニーカー、頭にはターバンという異様ないでたちであるにもかかわらず、ターバンに眉毛が隠れ、ハイカットのスニーカーに刺青が隠されているので、まったく気がつかない(そんな、ばかな!)のである。

ネロは自分の素晴らしいコンピュータに、オラフ伯爵のデータが入っていて、それと一致しないという理由で、きょうだいの話をまるでとりあわない。 そうしているうちに、きょうだいはジェンギスからS.O.R.E.(Special Orphan Running Exercises)プログラムと称した過酷なエクササイズを強いられる。その上、疲れ果てて勉強に身が入らないきょうだいに待ち受けていたのは、厳しいテストだった。そして、副校長の秘書をしているサニー(赤ん坊なのに!)には、お手製のホチキスの針を作るという辛い仕事が待ち受けていた。この苦境を救おうと身代わりになるダンカンとイサドラだったのだが・・・。

今回は、かろうじて体育教師ジェンギスの正体がオラフ伯爵であるとわかりはしたものの、身代わりになったダンカンとイサドラがオラフ伯爵にさらわれてしまう。何とか助けなければ!というところで話が終わっている。これまでより話の進み具合が遅いと思ったら、次の巻に続いていたのだ。連れ去られるダンカンが最後に残した「V.F.D.」という謎の言葉。これが非常に気になるので、早速第6巻に手を伸ばすという趣向。スニケットの本名であるミステリ作家のダニエル・ハンドラーの一面が見える巻である。

ところで毎巻末に、スニケットが出版社の編集者に宛てた手紙(次号予告のようなもの)がある。これが個人的には非常に楽しみである。毎回いろいろな趣向をこらし、前回はノートのぼろぼろの切れ端、今回はばかばかしいくらいにファンシーな便箋といた具合。内容も面白いのだが、そういう細かいところにこだわるスニケットのユーモアが、非常におかしい。しかし、ボードレールきょうだいの行方を追って、どんな状況でこれを書いたかといったいきさつも書いてあり、これもまた作品の一部なのである。


●2001年06月02日(土)
The Ersatz Elevator/Lemony Snicket 
 
(Series of Unfortunate Events, 6)

5巻で不幸続きながらも友達ができ、一時楽しい思いもしたボードレールきょうだい。しかし最後には、その友達(ダンカンとイサドラ)がオラフ伯爵に誘拐されてしまう。この第6巻は、その続きである。というか、友達が誘拐されたという状況も、毎回のオラフ伯爵の登場同様、この先必須の設定なのかもしれない。なぜなら、結果を先に言ってしまえば、この巻でもまたダンカンとイサドラは、オラフ伯爵に連れ去られてしまうからだ。

 さて今回は、両親が生きていた時に住んでいたシティーに戻って来る。ダークアヴェニューという通りの48階だか84階だかよくわからない高層ビルの最上階のペントハウスに住む、ジェロームとエズメという夫婦に引き取られる。しかし、ビルのエレベーターは壊れていて使えないときた。

とにもかくにも、屋根のある場所で、それぞれの個室をあてがわれ、食事も不自由なく、ということであれば、彼らにとっては幸運なほうだと言えるだろう。 しかし、水で作ったマティーニとかパセリソーダとかを、飲みたくもないのに飲まされるのはまだいいとしても、やはり辛いのは最上階までの階段の上り下りだろう。うへえ!

ある日のこと、ガンサーというオークショネアがやってくる。ジェロームの妻のエズメと共同で、オークションを開催するためだ。もちろん、これがオラフ伯爵である。例によって、きょうだいはすぐに気が着くのだが、大人たちはいくら言っても信じない。しかも今回は、妻のエズメがオラフ伯爵の仲間だったというのだからなおさらだ。

そして、使えないエレベーター!今回の鍵はここにある。このエレベーター(タイトルどおり、にせのエレベーターなのだが)をめぐり、末っ子のサニーが嘘みたいな大活躍! 最後にオークション会場で、事はハッピーエンドに終わりそうな感じはするが、やっぱりそうは問屋がおろさない。

5巻で、ダンカンの残した謎の言葉「V・F・D」とは一体何か?全てが明らかになったものの、ボードレールきょうだいは再び失意のどん底へ! 今回ももちろん面白かったのだが、6巻も続くとさすがにだれてくるのか(作家も読み手も)、思うようにテンポが上がらない。これまでのような楽しさがない。読み手の意識が、ボードレールきょうだいの身の上よりも、ダンカンとイサドラのほうに向いてしまっているのが原因か?とも思う。そして、どうやら7巻でも、ダンカンとイサドラは戻って来ないようだ…。


●2001年06月03日(日)
その他児童書

感想なし。

How to Read in the Dark/Anne Fine Wonderful Woody/Patricia Cleveland-Peck Playing Princesses/Adele Geras The Troll's Story/Vivian French The Cat and the Mermaid/Shirley Isherwood Horrid Henry/Francesca Simon FlowerPotamus/Michael Lawrence Tool Trouble at Smallbill Garage/Willy Smax Piggo and the Pony/Pam Ayres Lottie's Letter/Gordon Snell Rory, The Deplorably Noisy Baby/Paul and Emma Rogers


 『おさわがせなバーティくん』/ケネス・グレアム
内容(「MARC」データベースより) 行動的な黒ぶたのバーティは退屈のあまり小屋を抜けだしクリスマスのキャロリングをしようとします。でも犬に追われたあげく…。グレアムが息子のために書いた楽しい物語。挿絵は『くまのプーさん』のアーネスト・H・シェパード。


●2001年06月04日(月)
悪童日記/アゴタ・クリストフ 

以前から気になっていた作品だが、ブコウスキーあたりとイメージがごちゃまぜになっていて、手が出なかった本である。しかしハヤカワのepi文庫に入ったことにより、読んでみようかと決心がつく。

まず言わなければならないことは、ブコウスキーあたりのイメージ(これもあんまり定かではないのだが、なんとなく・・・)を読み始めて即座に取り消さなければならなかったことである。今やこのイメージは、忘却の彼方である。 この本は、あまりにも有名になっていて、私がどうこう感想を書くまでもないのだが、私なりの正直な感想を言うと、「すごい!」という一言だ。

それにこの悪童たちの正直な生きざまはどうだろう!子どもたちのすごさに圧倒された。 戦争という特殊な状況のもとで、あたりまえの常識が通用しない世界にあり、自分たちのアイデンティティーを貫き通すたくましさは、驚きでもあり、うらやましくもあった。だが、彼らの基本にある特別な正義感は、ときにキラリと輝きを放つ。していることが異常でも、精神には純粋なものがある。子どもたちの生活を通して、当時の社会状況が手にとるようにわかる。けして尋常でない状況にあり、彼らは自分たちの信念に絶対的な自信を持っている。それはなぜだろう?

この社会にあって、周りに気を使って生きることは必然とも思えるし、また実際に自分のこと以外で疲れ果ててしまう場合も多いだろう。そもそも「気を使う」ということは不自然である。心からの行動であれば、「気を使う」こともなく、自然に行動できるはずだ。しかし人々はみな、自分を押し殺して、社会を丸く収めるために、気を使わざるを得ないといった状況。だから疲れるのだ。自分の基準に合わせるのではなく、他人の基準に合わせているからだ。これが社会においては生きていく技なのかもしれないが、精神的にはけしていい状態ではないはず。

 だが、ここに出てくる子供たちは、絶対的な「個」がある。人に何かをするときも、自分たちがしたいと思うからするのであり、自分たちの基準に合わないことは絶対にしない。それが一般の社会で通用するかどうかはともあれ、このことは、全編を通じてうらやましい生き方であると思えた。

感情を一切排した文章には、余計な部分がまるでない。犯罪も性も暴力も、淡々と同じ調子で書かれているのみだ。それがかえって生々しく、読む側に衝撃を与えるのではないだろうか。この作品は、さらに2作を含めた三部作となっている。もちろん全部読むつもりである。


●2001年06月05日(火)
日の名残り/カズオ・イシグロ 

偶然にも今、この本の感想を書いているノートに、数年前にNHKのラジオ講座でイギリス文学の特集をした時の、解説のメモが書いてあった。前後を見てみると、ディケンズやイーヴリン・ウォー、サマセット・モーム、ジェーン・オースティン、オスカー・ワイルド、トマス・ハーディー、D・H・ロレンスといった、そうそうたるメンバーの名前が載っている。

この時、カズオ・イシグロもずいぶん有名になったものだと思ったものである。カズオ・イシグロという日本名をあちら風にカタカナ読みした名前が、イギリスという伝統を重んじる国の、文学と言うこれまた長い歴史を持つ分野に登場し、重鎮とも呼べる文学の大家と方を並べているのは、とても興味深かった。その時のテキストが、この『日の名残り』であった。

引用箇所は、主人公スティーヴンスが執事の品格とは何かについて述べている部分。物語の中でも、最もイギリスらしいと言える部分なのである。 5歳のときに渡英したイシグロは、文化的には全くの英国人と言っても過言ではないと思うが、やはり日本人の血が流れていると思うと、そういう人物がイギリスの文化を、しかも良くも悪くも最もイギリスらしいと思われる部分を文学として描いているということは、私のようにどっぷりと日本から抜け出せずにいる者にとっては、驚くべきことである。

しかし、もしかすると完全にイギリス人ではないがために、冷静な目で「イギリスらしさ」を追求できたのかもしれない。 物語のほうはというと、語り手である主人公の執事が、今や過ぎ去りし栄光の日々とも言うべき過去の時代をふり返る話である。丸谷才一氏の解説には、「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺している」とある。そして「スティーヴンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋心もわからぬ程度の人間の鈍感さにすぎない」ともある。私が感じたのも、改めて言葉を変えて言いなおすまでもなく、この2点に尽きる。久しぶりに落ち着いた小説を読んだという感じで満足ではあるが、もっと細かいところまで入り込むには、再読の必要ありだろう。

余談ではあるが、翻訳の土屋政雄さん(『イギリス人の患者』『アンジェラの灰』『コールドマウンテン』などの訳者)のあとがきが興味深かった。氏が訳された作品をみればわかると思うが、真面目でシリアスな純文学が多く(しかも分厚い!ご本人の好みとは関係なく、この手の本の依頼が多いそうだ)、ご本人もそういう方なのだろうかと思っていたところ、フィンランドでニューズウィークを買ったが、本当は無修正のペントハウスとプレイボーイが欲しかったと書いてあったので、なぜかほっとしたと同時に親しみを覚えた。

その旅の恥をかき捨てられなかったフィンランドで、今更取りかえることもできないニューズウィークに、イシグロが『日の名残り』でブッカー賞をとったことが載っており、いつかこんな本を訳してみたいと願った氏は、なんと1週間後にその願いがかなったという。 私は、この『日の名残り』は今後、文学の殿堂入りをして、居並ぶ大家の作品と共に後世に残っていく作品のひとつと思うし、今回ハヤカワのepi文庫の第1回の配本に入ったことで、またさらに多くの人が手に取るようになるだろうと思う。今では土屋氏も、ペントハウスやプレイボーイではなく、ニューズウィークを買ってよかったと思っているのではないだろうか。


●2001年06月06日(水)
ジャンとジュール(BOOK PLUS)/ルージャ・ラザロヴァ 

ジャンとジュールはミュリエルのおっぱいの名前。彼女のおっぱいは、それぞれに人格を持っており、ミュリエルは気づいていないが、ミュリエルがおっぱいを意識し始めたときから彼女と共に人生を送っている。ミュリエルの生活を通して体験するさまざまな出来事、出会いと別れに対して、ジャンはジャンなりに、ジュールはジュールなりにそれを受け止め、時には批判しながら生きていく。 もちろんミュリエルのおっぱいなのだから、彼らが別の人生を歩むことなどできない。ましてや、人生が嫌になったからといって、自殺など望めないのである。だが、ジャンが死んだ。ジュールを残して、乳がんのためにジャンは死んでしまったのだ。

女性にとって、おっぱいとは何なのだろう。初めて意識した時には、恥ずかしいものであり、隠したいものだったのに、そのうち誇らしいものに変わり、なるべく目立つように気を使ったりするようにもなる。パートナーができたり、赤ちゃんが生まれたりすれば、自分だけでなく、彼らのためにも大事な大事なおっぱいである。 おっぱいが死ぬということは、ある意味では女性の死をも意味することかもしれない。おっぱいは女性に生まれたがゆえに、一喜一憂させられるもの(それは男性が男性に生まれたがゆえにということと同様のものであるとは思うが)。 しかし、男性が男性たるゆえんであるものとは違って、おっぱいはその外見だけで、女性の人生を変えてしまったりする場合もある。そんなことを痛切に感じさせられた話である。

●2001年06月07日(木)
ヴァン・ゴッホ・カフェ/シンシア・ライラント 
 
これは児童書のコーナーに置いてあった本である。しかし、おしゃれな絵といい、内容といい、立派に大人が読むに値する本だ。もちろん大人が読む本だからいい本というわけではないが。 カンザス州フラワーズにあるヴァン・ゴッホ・カフェは、その昔劇場だった。だから不思議なことがおこるのだという。カフェをやっているのは兄のマークと妹のクララ。クララはカフェに起こる不思議なことを「魔法」と呼んでいる。 そんな不思議な出来事を書いてあるのがこの本だ。

ひとりでに料理ができてしまう話。マークが書く詩が未来を予言する話。ひとりでに増える不思議なマフィンの話。猫がカモメに恋した話などなど…。不思議だなと思って読んでいると、昔大スターだったエレガントな紳士の話が出てきた。思わず目頭が熱くなった。1時間もあればゆっくり読み終える本だが、しっかり感動する。 誰が主人公というわけではない。それぞれの話のそれぞれの登場人物、あるいはカフェのお客さんが主人公だろう。しかし本当の主人公は、妹のクララに違いない。彼女の好奇心と、不思議な出来事にも動じない飄々とした態度は、あたたかく、ほほえましい。どんな魔法が起こっても、クララは驚かない。なぜなら、ここはヴァン・ゴッホ・カフェだからだ。


●2001年06月08日(金)
人魚の島で/シンシア・ライラント 

主人公のダニエルは、おじいさんとカナダのコキール島に住んでいる。友達もいない孤独な少年は、ある日人魚に出会い、その人魚からもらった古い鍵に守られて、大人になっていく。 小さな島での不思議な生活。生と死が入り交じりながらも、いつしかそれが自然のことであると思えてくるような物語。大好きなおじいさんが死んで、一人ぼっちになってしまった少年の孤独や悲しみ、やがてそこから真実を知り、大人になっていく少年の成長の過程が、切なくもあたたかく、胸に迫る。 いつしか少年はひとりぼっちではなくなっている。それを教えてくれたのは、あの人魚だということに気づいたダニエルは、「ありがとう」と書いた手紙を瓶につめ、海に流す。静かな感動。


●2001年06月09日(土)
天国に近い村/シンシア・ライラント
 
人間が死ぬと、天国という、すばらしいところに行くといわれています。でもあるひとたち、天国へと足をふみだしてためらっている人達は、<天国に近い村>というところに行くのです。 この話は、人(あるいは動物)が死ぬということを前提にしている。死んだらどこに行くのだろう?どうなってしまうのだろう?誰でも少なからず、死ぬことを怖いと思っているのではないだろうか?やりかけのことがあったり、思い残すことがあったらどうするんだろう?その場合は、この<天国に近い村>に行けばいい。ここでは時間も自由だし、好きなところにも行ける。でも、ここに来ると、皆いい人になるのだ。ちゃんと神様が、そういう手配をしてくれるからだ。 こんな村があったら、死ぬのはきっと怖くないし、お別れした人達ともまた会えると思えば、ちっとも寂しくなんかないだろう。


●2001年06月10日(日)
小さなトロールと大きな洪水/トーベ・ヤンソン
 
ムーミンシリーズの幻の第1巻。ムーミントロールはムーミンママと一緒にパパを捜しに行く。途中でスニフや花の中に住むチューリッパと出会い、川を渡り、お菓子の国を過ぎて旅を続けるうちに、洪水に会う。 流れてきた瓶を拾うと、中にはパパの手紙が!そうして水の中を進むうち、ようやくパパに出会う。行きついた所には、パパが建てたステキな家が流れ着いていた。そしてそこからみんなが知っているムーミン谷の物語が始まるのだ。


●2001年06月11日(月)
ゆかいなホーマーくん/ロバート・マックロスキー 

ホーマーくんの家は、観光客用のキャンプを経営している。お母さんは宿泊人の世話をし、お父さんはガソリンスタンドの管理。そして、ホーマーくんは両親の手伝いをしながら、学校へ行ったり、ラジオの組立てをやったり…。 スーパーマンの登場や、自動ドーナツ製造機など、高度成長期の機械開発がアメリカ国民に与えた希望といった面も垣間見える、古きよきアメリカという感じのユーモラスでほほえましいお話。 ネズミ捕りの話はハメルンの笛吹き男を思わせる、ちょっとどっきりの話だ。名前のホーマーは、もちろんホメロス。ユリシスおじさんの名前はユリシーズである。さりげなくギリシア神話も入っている。


●2001年06月12日(火)
ドラゴンがいっぱい!/イーディス・ネズビット 

エヴリデイ・マジックの創始者ネズビットの短編集。いろんなドラゴンが登場して、とても楽しいお話なのだが、翻訳がどうにもひどい。作者のネズビットが気の毒になるほど。子どもに読ませるときには、講談社の青い鳥文庫以外のものを薦める。

●2001年06月13日(水)
魔法使いハウルと火の悪魔/ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 

魔法が存在する国インガリーの帽子屋の長女ソフィーは、荒地の魔女に90歳の老婆に変えられてしまった。家族を驚かせたくないと家出したソフィーは、空中に浮かぶ城に住む、若い魔法使いハウルの掃除婦として住み込む。 うぬぼれ屋で移り気なハウル、そのハウルに魔力を提供している火の悪魔カルシファー、ハウルの弟子のマイケル。ばらばらのように見えた彼らも、最後には力を合わせて荒地の魔女と戦う。自らも魔力が備わっているとわかったソフィーには、意外な結末が! オックスフォードでトールキンに師事したこともあるというジョーンズだが、さすがにテンポもよく、ほかの子供向けファンタジーとは一味違う。ところどころに、有名な児童文学や文学作品が出てくるのも、興味深い。もちろんイギリスのファンタジーだけに、アーサー王伝説も取り入れられている。


●2001年06月14日(木)
チョコレート工場の秘密/ロアルド・ダール
 
貧しい少年チャーリーに、世界一のお菓子工場見学の金券があたった。招待された5人の子どもたちにつぎつぎとあかされる、アッと驚く工場のものすご~い秘密! ほんとにこれはものすごい!こんなお話だったら、子ども達はどれだけ夢中になるだろう。愉快だけれど、しっかり教訓も入っている。ダールが一番言いたかったのは、テレビなんか見ていないで、本を読みなさいということだろう。このお話から、どんなに豊かな想像が飛び出てくることか!想像するってことは、どんなに楽しいか!もうテレビやゲームなんて、捨てちゃいなさい!


●2001年06月15日(金)
ロビンソン漂流記/ダニエル・デフォー
 
この物語はあらすじだけは知っていたが、ちゃんと読んだことがなかった。だから無人島で、ロビンソン・クルーソーがどんな小屋に住み、何を食べて生きていたのか、またどうやって助かったのかなどという詳しいことはよく知らなかった。

本書は講談社の青い鳥文庫という児童向けの本だが、翻訳は中野好夫さんである。中野さんと言えば、サマセット・モームなどを訳している素晴らしい翻訳者である。またスウィフトの研究者としても有名で、もちろん『ガリヴァー旅行記』も訳している。 デフォーはスウィフトと同時代の作家であるし、同じ冒険譚でもあるから、中野さんとしてはお手のものだろう。そういうわけで、この本は児童向けに訳されているとはいえ、大人向けの本に負けない立派な訳であろうと期待して読むことにした。

中野さんはすでに故人で、今となってはいささか古い言葉使いであったりするのだが、少しもひっかかるところのない、流れるような文章は見事であるし、英語が透けて見えてこないところなどもさすがである。私ごときが中野さんの翻訳をどうこう言える立場でもないのだが、あえて翻訳にこだわっているのは、こうしたもともとは大人向けの物語でありながら、児童向けに訳し直されているものというのは、往々にしておかしな訳が多く、がっかりさせられることがしばしばあるからだ。その点で、この本は非常に満足できるものだった。

有名な物語だから、内容を今更書くこともないだろうと思うが、ひとことで言えば、ロビンソン・クルーソーが家出をして船に乗り、その船が難破し、一人無人島に流され、27年2ヶ月と19日の間、その島で暮らしたという冒険物語である。 この本が出版された当時は、『ガリヴァー旅行記』とともに、大変もてはやされたようである。何もないところで、知恵と工夫によって暮らしていく様は、いつの時代でも面白く読めると思うが、現代の物が余っている時代の子どもたちは、どのように感じているのだろう。私たちの年代では「子どもの頃にわくわくしながら読んだ」という人が多いが、果たして今の子どもたちもそんな気持ちになるだろうか?そんな冒険に対する夢が少しでも残っていてほしいものだと願わずにはいられない思いがした。

最後に、この物語は実話ではない(実話と思っている人も少なくないようだ)。なのに、まるで実際に経験してきたかのように、生き生きとリアルに描かれている。それがデフォーの想像力の素晴らしさなのだ。映像も何もない昔の人のほうが、想像力ははるかに豊かであったに違いない。現在では本がヒットすると、すぐに映画化されたりする。読み手の想像力は、貧弱になるばかりだ。


●2001年06月16日(土)
ダレン・シャン─奇怪なサーカス/ダレン・シャン

「ハリー・ポッターの作者、J.K.ローリングが激賞!」という鳴り物入りの物語。主人公の少年ダレンが、シルク・ド・フリークっというサーカス(日本では見世物小屋のようなもの)を見にいったことで、自体は思わぬ方向へ。ダレンはバンパイアに、それも人間とバンパイアの血が半分ずつという体になってしまうのだ。

この第1巻は、バンパイア、ダレン・シャンが、バンパイアになるまでのいきさつといったところ。 個人的には、これ以降のシリーズを読む気にはならない。物語が面白くないわけではなく、テンポよくどんどん読めるのだが、翻訳のせいかどうか、妙にバタバタと騒がしい感じがして、奥深さを感じられなかった。本の冒頭で、すでにシリーズの全体が(筋がという意味ではない)見えてしまったような気がする。

最初に引用したので、あえて比較すれば、ハリー・ポッターシリーズのほうが、はるかに芸が細かく、この先の予測もつかないので、楽しみである。ハリー・ポッターの最初の数ページを読んで感じたワクワク感も、こちらにはない。ちなみに原書を少し読んでみたところ、この本は、できれば原書で読むべきであると強く思った。こういった児童文学の場合、会話部分の訳はとても重要だと思う。ダレン・シャンは、そこで失敗しているような気がする。

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