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ヴァン・ゴッホ・カフェ/シンシア・ライラント 


2001.06.07
Thu
17:23

これは児童書のコーナーに置いてあった本である。しかし、おしゃれな絵といい、内容といい、立派に大人が読むに値する本だ。もちろん大人が読む本だからいい本というわけではないが。

カンザス州フラワーズにあるヴァン・ゴッホ・カフェは、その昔劇場だった。だから不思議なことがおこるのだという。カフェをやっているのは兄のマークと妹のクララ。クララはカフェに起こる不思議なことを「魔法」と呼んでいる。そんな不思議な出来事を書いてあるのがこの本だ。

ひとりでに料理ができてしまう話。マークが書く詩が未来を予言する話。ひとりでに増える不思議なマフィンの話。猫がカモメに恋した話などなど…。不思議だなと思って読んでいると、昔大スターだったエレガントな紳士の話が出てきた。思わず目頭が熱くなった。1時間もあればゆっくり読み終える本だが、しっかり感動する。

誰が主人公というわけではない。それぞれの話のそれぞれの登場人物、あるいはカフェのお客さんが主人公だろう。しかし本当の主人公は、妹のクララに違いない。彼女の好奇心と、不思議な出来事にも動じない飄々とした態度は、あたたかく、ほほえましい。どんな魔法が起こっても、クララは驚かない。なぜなら、ここはヴァン・ゴッホ・カフェだからだ。

category: FICTION

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ジャンとジュール(BOOK PLUS)/ルージャ・ラザロヴァ 


2001.06.06
Wed
17:21

ジャンとジュールはミュリエルのおっぱいの名前。
彼女のおっぱいは、それぞれに人格を持っており、ミュリエルは気づいていないが、ミュリエルがおっぱいを意識し始めたときから彼女と共に人生を送っている。ミュリエルの生活を通して体験するさまざまな出来事、出会いと別れに対して、ジャンはジャンなりに、ジュールはジュールなりにそれを受け止め、時には批判しながら生きていく。

もちろんミュリエルのおっぱいなのだから、彼らが別の人生を歩むことなどできない。ましてや、人生が嫌になったからといって、自殺など望めないのである。だが、ジャンが死んだ。ジュールを残して、乳がんのためにジャンは死んでしまったのだ。

女性にとって、おっぱいとは何なのだろう。初めて意識した時には、恥ずかしいものであり、隠したいものだったのに、そのうち誇らしいものに変わり、なるべく目立つように気を使ったりするようにもなる。パートナーができたり、赤ちゃんが生まれたりすれば、自分だけでなく、彼らのためにも大事な大事なおっぱいである。

おっぱいが死ぬということは、ある意味では女性の死をも意味することかもしれない。おっぱいは女性に生まれたがゆえに、一喜一憂させられるもの(それは男性が男性に生まれたがゆえにということと同様のものであるとは思うが)。

しかし、男性が男性たるゆえんであるものとは違って、おっぱいはその外見だけで、女性の人生を変えてしまったりする場合もある。そんなことを痛切に感じさせられた話である。

category: BOOK PLUS

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日の名残り/カズオ・イシグロ 


2001.06.05
Tue
17:18

偶然にも今、この本の感想を書いているノートに、数年前にNHKのラジオ講座でイギリス文学の特集をした時の、解説のメモが書いてあった。前後を見てみると、ディケンズやイーヴリン・ウォー、サマセット・モーム、ジェーン・オースティン、オスカー・ワイルド、トマス・ハーディー、D・H・ロレンスといった、そうそうたるメンバーの名前が載っている。この時、カズオ・イシグロもずいぶん有名になったものだと思ったものである。

カズオ・イシグロという日本名をあちら風にカタカナ読みした名前が、イギリスという伝統を重んじる国の、文学と言うこれまた長い歴史を持つ分野に登場し、重鎮とも呼べる文学の大家と方を並べているのは、とても興味深かった。その時のテキストが、この『日の名残り』であった。引用箇所は、主人公スティーヴンスが執事の品格とは何かについて述べている部分。物語の中でも、最もイギリスらしいと言える部分なのである。

5歳のときに渡英したイシグロは、文化的には全くの英国人と言っても過言ではないと思うが、やはり日本人の血が流れていると思うと、そういう人物がイギリスの文化を、しかも良くも悪くも最もイギリスらしいと思われる部分を文学として描いているということは、私のようにどっぷりと日本から抜け出せずにいる者にとっては、驚くべきことである。しかし、もしかすると完全にイギリス人ではないがために、冷静な目で「イギリスらしさ」を追求できたのかもしれない。

物語のほうはというと、語り手である主人公の執事が、今や過ぎ去りし栄光の日々とも言うべき過去の時代をふり返る話である。丸谷才一氏の解説には、「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺している」とある。そして「スティーヴンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋心もわからぬ程度の人間の鈍感さにすぎない」ともある。

私が感じたのも、改めて言葉を変えて言いなおすまでもなく、この2点に尽きる。久しぶりに落ち着いた小説を読んだという感じで満足ではあるが、もっと細かいところまで入り込むには、再読の必要ありだろう。

余談ではあるが、翻訳の土屋政雄さん(『イギリス人の患者』『アンジェラの灰』『コールドマウンテン』などの訳者)のあとがきが興味深かった。氏が訳された作品をみればわかると思うが、真面目でシリアスな純文学が多く(しかも分厚い!ご本人の好みとは関係なく、この手の本の依頼が多いそうだ)、ご本人もそういう方なのだろうかと思っていたところ、フィンランドでニューズウィークを買ったが、本当は無修正のペントハウスとプレイボーイが欲しかったと書いてあったので、なぜかほっとしたと同時に親しみを覚えた。

その旅の恥をかき捨てられなかったフィンランドで、今更取りかえることもできないニューズウィークに、イシグロが『日の名残り』でブッカー賞をとったことが載っており、いつかこんな本を訳してみたいと願った氏は、なんと1週間後にその願いがかなったという。

私は、この『日の名残り』は今後、文学の殿堂入りをして、居並ぶ大家の作品と共に後世に残っていく作品のひとつと思うし、今回ハヤカワのepi文庫の第1回の配本に入ったことで、またさらに多くの人が手に取るようになるだろうと思う。今では土屋氏も、ペントハウスやプレイボーイではなく、ニューズウィークを買ってよかったと思っているのではないだろうか。

category: FICTION

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悪童日記/アゴタ・クリストフ 


2001.06.04
Mon
17:15

以前から気になっていた作品だが、ブコウスキーあたりとイメージがごちゃまぜになっていて、手が出なかった本である。しかしハヤカワのepi文庫に入ったことにより、読んでみようかと決心がつく。

まず言わなければならないことは、ブコウスキーあたりのイメージ(これもあんまり定かではないのだが、なんとなく・・・)を読み始めて即座に取り消さなければならなかったことである。今やこのイメージは、忘却の彼方である。

この本は、あまりにも有名になっていて、私がどうこう感想を書くまでもないのだが、私なりの正直な感想を言うと、「すごい!」という一言だ。それにこの悪童たちの正直な生きざまはどうだろう!子どもたちのすごさに圧倒された。

戦争という特殊な状況のもとで、あたりまえの常識が通用しない世界にあり、自分たちのアイデンティティーを貫き通すたくましさは、驚きでもあり、うらやましくもあった。だが、彼らの基本にある特別な正義感は、ときにキラリと輝きを放つ。していることが異常でも、精神には純粋なものがある。子どもたちの生活を通して、当時の社会状況が手にとるようにわかる。けして尋常でない状況にあり、彼らは自分たちの信念に絶対的な自信を持っている。それはなぜだろう?

この社会にあって、周りに気を使って生きることは必然とも思えるし、また実際に自分のこと以外で疲れ果ててしまう場合も多いだろう。そもそも「気を使う」ということは不自然である。心からの行動であれば、「気を使う」こともなく、自然に行動できるはずだ。しかし人々はみな、自分を押し殺して、社会を丸く収めるために、気を使わざるを得ないといった状況。だから疲れるのだ。自分の基準に合わせるのではなく、他人の基準に合わせているからだ。これが社会においては生きていく技なのかもしれないが、精神的にはけしていい状態ではないはず。

だが、ここに出てくる子供たちは、絶対的な「個」がある。人に何かをするときも、自分たちがしたいと思うからするのであり、自分たちの基準に合わないことは絶対にしない。それが一般の社会で通用するかどうかはともあれ、このことは、全編を通じてうらやましい生き方であると思えた。

感情を一切排した文章には、余計な部分がまるでない。犯罪も性も暴力も、淡々と同じ調子で書かれているのみだ。それがかえって生々しく、読む側に衝撃を与えるのではないだろうか。この作品は、さらに2作を含めた三部作となっている。もちろん全部読むつもりである。

category: FICTION

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おさわがせなバーティくん/ケネス・グレアム  


2001.06.03
Sun
16:44

その他児童書
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感想なし。

How to Read in the Dark/Anne Fine
Wonderful Woody/Patricia Cleveland-Peck
Playing Princesses/Adele Geras
The Troll's Story/Vivian French
The Cat and the Mermaid/Shirley Isherwood
Horrid Henry/Francesca Simon
FlowerPotamus/Michael Lawrence
Tool Trouble at Smallbill Garage/Willy Smax
Piggo and the Pony/Pam Ayres
Lottie's Letter/Gordon Snell
Rory, The Deplorably Noisy Baby/Paul and Emma Rogers


『おさわがせなバーティくん』/ケネス・グレアム

内容(「MARC」データベースより)
行動的な黒ぶたのバーティは退屈のあまり小屋を抜けだしクリスマスのキャロリングをしようとします。でも犬に追われたあげく…。グレアムが息子のために書いた楽しい物語。挿絵は『くまのプーさん』のアーネスト・H・シェパード。

category: CHILDREN

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The Ersatz Elevator/Lemony Snicket 


2001.06.02
Sat
16:31

(Series of Unfortunate Events, 6)

5巻で不幸続きながらも友達ができ、一時楽しい思いもしたボードレールきょうだい。しかし最後には、その友達(ダンカンとイサドラ)がオラフ伯爵に誘拐されてしまう。この第6巻は、その続きである。というか、友達が誘拐されたという状況も、毎回のオラフ伯爵の登場同様、この先必須の設定なのかもしれない。なぜなら、結果を先に言ってしまえば、この巻でもまたダンカンとイサドラは、オラフ伯爵に連れ去られてしまうからだ。

さて今回は、両親が生きていた時に住んでいたシティーに戻って来る。ダークアヴェニューという通りの48階だか84階だかよくわからない高層ビルの最上階のペントハウスに住む、ジェロームとエズメという夫婦に引き取られる。
しかし、ビルのエレベーターは壊れていて使えないときた。とにもかくにも、屋根のある場所で、それぞれの個室をあてがわれ、食事も不自由なく、ということであれば、彼らにとっては幸運なほうだと言えるだろう。

しかし、水で作ったマティーニとかパセリソーダとかを、飲みたくもないのに飲まされるのはまだいいとしても、やはり辛いのは最上階までの階段の上り下りだろう。うへえ!

ある日のこと、ガンサーというオークショネアがやってくる。ジェロームの妻のエズメと共同で、オークションを開催するためだ。もちろん、これがオラフ伯爵である。例によって、きょうだいはすぐに気が着くのだが、大人たちはいくら言っても信じない。しかも今回は、妻のエズメがオラフ伯爵の仲間だったというのだからなおさらだ。

そして、使えないエレベーター!今回の鍵はここにある。
このエレベーター(タイトルどおり、にせのエレベーターなのだが)をめぐり、末っ子のサニーが嘘みたいな大活躍!

最後にオークション会場で、事はハッピーエンドに終わりそうな感じはするが、やっぱりそうは問屋がおろさない。5巻で、ダンカンの残した謎の言葉「V・F・D」とは一体何か?全てが明らかになったものの、ボードレールきょうだいは再び失意のどん底へ!

今回ももちろん面白かったのだが、6巻も続くとさすがにだれてくるのか(作家も読み手も)、思うようにテンポが上がらない。これまでのような楽しさがない。読み手の意識が、ボードレールきょうだいの身の上よりも、ダンカンとイサドラのほうに向いてしまっているのが原因か?とも思う。そして、どうやら7巻でも、ダンカンとイサドラは戻って来ないようだ…。

category: CHILDREN

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The Austere Academy/Lemony Snicket 


2001.06.01
Fri
16:26

ヴァイオレット、クラウス、サニーのボードレールきょうだいの「不幸な出来事」シリーズ第5巻。

今回3人のきょうだいは、学校に預けられる。この学校の副校長であるネロは、自らを偉大なバイオリニストであると称して、生徒たちに毎晩自分のバイオリンを聞かせるのを日課としている。その腕前たるや、バイオリンを弾けない人がバイオリンを弾いているといった程度。このネロはまた人の口真似ばかりしており、それがどれほど不愉快なものか、改めて思い知った次第である。

この学校で、きょうだいにダンカンとイサドラという友達ができる。二人は三つ子(だったのだが、一人は死んでしまった)で、同じく孤児であった。

副校長のネロをはじめ、毎日自分のくだらない話を書き取りさせる、バナナばかり食べているゴリラみたいな顔のレモラ(コバンザメ)先生、何でもかんでも寸法を計らせるバス(ブラックバスなど)先生、そして意地悪な生徒のカーメリータ・スパッツと、とんでもない人物ばかりの学校だが、そこに新任の体育教師、ジェンギスがやってくる。彼こそまさにオラフ伯爵その人なのであるが、例によって大人は誰も信じない。ジャージにハイカットの高価そうなスニーカー、頭にはターバンという異様ないでたちであるにもかかわらず、ターバンに眉毛が隠れ、ハイカットのスニーカーに刺青が隠されているので、まったく気がつかない(そんな、ばかな!)のである。ネロは自分の素晴らしいコンピュータに、オラフ伯爵のデータが入っていて、それと一致しないという理由で、きょうだいの話をまるでとりあわない。

そうしているうちに、きょうだいはジェンギスからS.O.R.E.(Special Orphan Running Exercises)プログラムと称した過酷なエクササイズを強いられる。その上、疲れ果てて勉強に身が入らないきょうだいに待ち受けていたのは、厳しいテストだった。そして、副校長の秘書をしているサニー(赤ん坊なのに!)には、お手製のホチキスの針を作るという辛い仕事が待ち受けていた。この苦境を救おうと身代わりになるダンカンとイサドラだったのだが・・・。

今回は、かろうじて体育教師ジェンギスの正体がオラフ伯爵であるとわかりはしたものの、身代わりになったダンカンとイサドラがオラフ伯爵にさらわれてしまう。何とか助けなければ!というところで話が終わっている。これまでより話の進み具合が遅いと思ったら、次の巻に続いていたのだ。連れ去られるダンカンが最後に残した「V.F.D.」という謎の言葉。これが非常に気になるので、早速第6巻に手を伸ばすという趣向。スニケットの本名であるミステリ作家のダニエル・ハンドラーの一面が見える巻である。

ところで毎巻末に、スニケットが出版社の編集者に宛てた手紙(次号予告のようなもの)がある。これが個人的には非常に楽しみである。毎回いろいろな趣向をこらし、前回はノートのぼろぼろの切れ端、今回はばかばかしいくらいにファンシーな便箋といた具合。内容も面白いのだが、そういう細かいところにこだわるスニケットのユーモアが、非常におかしい。しかし、ボードレールきょうだいの行方を追って、どんな状況でこれを書いたかといったいきさつも書いてあり、これもまた作品の一部なのである。

category: CHILDREN

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