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2001年7月 


2001.07.31
Tue
07:12

●2001年07月01日(日)
ブリジット・ジョーンズの日記/ヘレン・フィールディング
 
日記なので、敬遠していたけれど、これははまった!昔は、人の日記を見るなんて罪悪のように思っていたけれど、ネット上での日記の普及などもあって、楽しい日記、面白い日記というのを、書く側も読む側も求めるようになったせいか。ともあれ、世の中のニーズにはまったということだろう。

主人公のブリジットは、とてもかわいい。容姿はあまりよく思い描けないが、性格はすごくかわいいし、魅力的。私が男だったら、絶対に結婚したいと思うだろう。 それに、悩みがあったり、困ったことがあったりすると、すぐに駈けつけてくれる友達がいるというのが、なによりうらやましい。女同士の友情なんてはかないものと思っていたが、こんな友情が存在するなら、人生すごく楽しいだろうと思う。しかし、その友情が、時には恋愛の邪魔になったりするから困りものなのだ。

けれども、何があっても前向きなブリジットの生き方は、素晴らしい!嫌なこと、困ったことなどにいつまでもとらわれて、暗く、ひがみっぽくなっている人生なんてつまらない。ポジティブ・シンキングで生きていかなきゃ!ブリジット万歳だ!


●2001年07月02日(月)
世にも不幸なできごと① 最悪のはじまり /レモニー・スニケット

物語はボードレール姉弟妹の3人が海辺で遊んでいると、屋敷が大火事で、両親もろとも灰になってしまったことを告げられることから始まる。その時から、彼らの身の上は不幸極まりないものとなる。

悲しんでいる間もなく、3人はオラフ伯爵という欲張りで意地悪な親戚に預けられる。そこでさんざんこきつかわれ、寝る場所も食べる物も満足に与えられずに暮らすのだが、ある日、劇場を所有しているオラフ伯爵は、3人を劇に出してやろうという計画を立てる。 しかしこれには、ボードレール家の遺産を横取りしようというとんでもない裏があったのだ。命さえも危険にさらされたこの悪巧みに、3人はどのように立ち向かうのか。

両親をなくしたばかりの罪もない子ども達が、悪い大人にだまされて、不幸な目にあう気の毒な話なのだが、姉弟妹の性格描写や、スニケット独自のユーモアの世界が笑いを誘う。児童文学のジャンルに入ってはいるが、上等なユーモアに、大人も十分に楽しめる世界である。

<注意!>上の文章は原書の感想である。このとおり、あるいは少々割り引いても、絶対に面白いはずの話が、翻訳、装丁、挿絵・・・などなどのひどさで、ありきたりの話になってしまっている。せっかくのスニケットの文章や本のディテールなどへのこだわりが、全く理解されていない。断じて許せない出来事。まさに、シリーズの最悪のはじまりだ!



●2001年07月03日(火)
ナルダが教えてくれたこと(BOOK PLUS)/スチュアート・デイヴィッド

この本を読んで、私は思わず『ジャングル・ブック』を思い出した。つまり、子どもの頃に教えられたことはずっと残るということと、社会から隔離された状態にあった子どもは、社会に馴染めないということだ。

この物語の主人公(名前は分からないが、ルナールというあだ名で呼ばれるようになる)は、幼い頃にナルダというおばに預けられる。少年は学校にも行かず、ナルダが病気で病院に収容されるまで、彼女の手伝いをして、庭仕事だけをしてきた。

その間に、少年はナルダから様々な話を聞かされる。 少年の心に最もとりついて離れない事柄は、父親は宝石泥棒で、世にも高価なダイアモンドを盗み、追っ手に捕まる前に、少年にそれを飲ませて隠したという話だ。それ以来、少年はずっと人を避け、まわりの人が皆、自分のお腹の中にあるダイアモンドを狙っていると信じているのだった。やがて少年は大人になり、マリーという女性に恋をする。そうしたやり取りの中で、少年は心を開き、全てが良い方向に向かうかと思われるのだが…。

この主人公の少年は、もともと知恵遅れか何かなのか?あるいは、社会から切り離されて育ったために、一般的な知識がないだけなのか?こういった、ある意味特殊な少年の物語を訳す時に、しばしばダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』のチャーリーのような話し方に訳されてしまう。すると、前述のように、先天的なのか、後天的なのか、よくわからなくなる。この訳文が、普通に訳されていたら、もっと感動したに違いない。このところ、こういった例が多いのが残念だ。

すると、翻訳はよくない。原書で読まなければダメだということになりそうだが、それはそうでもない。たとえ翻訳がまずくても、原作がしっかりしていれば、さほど気にならないのではないだろうか。逆に原作がまずくても、翻訳の力で面白くなるという場合も、まれにあるとは思うが。 だが少なくとも、読者に偏ったイメージを与えてしまうような訳は、やはりあまり歓迎できない。

この本の場合、主人公が十分大人であるにも関わらず、子どものよう話し方(物語全体が主人公の語りであるから、余計に気になる)にしたのは、訳者の苦肉の策とは思うが、この主人公の場合、社会から全く隔離されていたわけではなく、仕事もしているわけだから、大人の話し方を知らないわけでもないだろう。そんなところが不自然なのである。 最初の話に戻ると、いかに子どもの頃の経験が大事かということを痛感する話である。よくよく注意して、子どもには接しなければならないということを考えさせられた。


●2001年07月04日(水)
 豚が飛んだら/ロビン・シスマン
 
プロポーズされるかと期待して出かけたレストランで、フレイアは恋人に別れを切り出されてしまう。愛も家もなくして、行き場のなくなったフレイアは、10年来の友達、ジャックのもとに向かった。かくして二人の同棲生活が始まる…。

ニューヨークを舞台に繰り広げられるラブ・ロマンス。35歳のキャリア・ウーマンのフレイアは、いつでも前向きだが、ちょっとばかりプライドが高い。もちろん結婚はとってもしたいのだが、誰でもいいというわけではない。一方、異母妹のタッシュは、お金持ちと結婚することが目的。そんなタッシュの結婚式に出席するため、イギリスの実家に帰らなければならなくなったフレイアは、ジャックに婚約者のふりをして、一緒に行ってもらうことになる。そこで起こる数々の事件。フレイアの心はずたずたになる。

以前、シスマンの『Perfect Stranger』を読んだが、それもやはりバリバリのキャリア・ウーマンが恋人を見つける話で、とても面白かった。しかし本作は、さらにパワーアップしている。最初からアップテンポで、話はどんどん進んでいき、クライマックスは途中で絶対やめられないほどの盛り上がりを見せる。そこがシスマンの最も得意な部分なのだが。シスマンの話は必ずハッピーエンドで、そういう話も時にはほっとするものだ。

それにしても、シスマンの描く女性は、皆強くて前向きで、魅力的である。自分もこうありたいと憧れてしまうような女性たちばかりだ。しかしこの話の中にある、「男女間の友情は成り立つか?」という問題に関しては、シスマンは否定的だと思う。この物語でも、表面上フレイアとジャックは友達としてつきあっていたが、最初からジャックはフレイアを好きだったのだ。この話の場合は、友情(と思っていたもの)が恋愛に変わって、めでたしとなるのだが、反対の結果もあり得るだろう。つまり、どちらか一方でも相手を異性として見た場合、真の友情は成り立たなくなる。だが、どこかにそんな友情があることを信じたい。


●2001年07月05日(木)
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人/J.K.ローリング

ハリー・ポッターシリーズ第3巻。

人気のハリポタシリーズ、この3巻の日本語版は、予約だけで50万部売れたという。 評判に違わず、面白い。原書で読んだときも興奮したが、再度翻訳で読んでも、面白さは減少していない。 だいたいは原書で読めば、翻訳版は買わないのだが、このシリーズの場合は作者の造語などを、どんなふうに訳しているのかが非常に楽しみで、両方買わずにいられないのだ。

今回はミステリー仕立てと言ってもいいくらいの、わくわくどきどきの展開。厳重なアズカバンの刑務所を脱走した、例のあの人ヴォルデモートの一番の手下と言われるシリウス・ブラックと、命を狙われるハリーとの戦いだ。しかし、大きなどんでん返しが用意されている。シリウスと言えば、第1巻の最初で、ハリーを運ぶためにハグリッドに大事なオートバイを貸した魔法使いだ。そのシリウスがなぜアズカバンに囚われていたのか、どうして脱獄できたのか。そして、ハリーの両親を殺した本当の犯人は・・・?

あちこちで、1日で読みました!というコメントを目にする。それほどに息もつかせぬ展開で、しかも非常に込み入っている。タイムトラベルまで出てくるのだから、相当綿密な筋立てが必要だ。1巻でのシリウスのオートバイの件にしても、この3巻の話のために、なくてはならないものだったことを考えると、作者の緻密な計算に驚くほかない。

この巻では、ハリーがダーズリー一家に我慢できなくなって、家を飛び出す。とうとうハリーがやってくれた!という思いとともに、少しずつ大人になっていくハリーを感じる。もちろん友情の大切さとか、親子の愛情という、ほろりとさせられる部分もある。そして何よりも、シリウス・ブラックがかっこいいのだ!


●2001年07月06日(金)
壁のなかの時計─ルイスと魔法使い協会/ジョン・ベレアーズ

『The House With a Clock in Its Walls』の翻訳。ルイスと魔法使い協会シリーズ(1)

交通事故で両親を失ったルイス少年は、おじのジョナサンの家に引き取られる。おじさんの家には、たくさんの時計があった。やがておじさんが魔法使いだと知ったルイス。おじさんばかりでなく、隣のミセス・ツィマーマンも魔女だった。二人とも、何か重大な秘密を隠しているようなのだが…。

ルイスが学校に行くようになると、タービーという友達ができる。タービーはスポーツも万能な人気者だったが、太ったルイスは野球さえ満足にできないので、タービーに馬鹿にされてばかりいた。何とかタービーの興味を引こうとして、丘のてっぺんにある墓地で、魔法を使ってみせることを約束してしまう。見ては行けないと言われていたおじさんの本から、魔法の呪文を勉強したルイスは、自分でも知らないうちに霊廟の中の魔女を呼び出してしまう。彼女はアイザック・アイザードという邪悪な魔法使いの妻で、世界の終りを次げる時計を動かして、この世界を破滅に導こうとしていたのだ。そして、魔女とミセス・ツィマーマンとの戦いが…。

この本の挿絵は、エドワード・ゴーリーである。挿絵のイメージも加味されて、不気味で恐ろしい雰囲気となっている。得体の知れない車に追いかけられたり、死んだはずの人間が真夜中に訪ねて来たり…。特に派手な見せ場はないものの、じわーっと怖いのである。主人公のルイスは根っから弱虫で、よせばいいのに、いろいろな所に首を突っ込む。そうして怖い思いをして、すぐ泣いたり、失神したりするのだが、徐々にルイスがいとおしくなってくるのが不思議。ルイスはマナーのきちんとした、とても良い子で、全然さえなくてヒーローにはほど遠いのだが、すぐに泣いたりしてしまうところが、子どもらしくてかわいいじゃない!という感じだ。しかし、最後に魔女をやっつけるのは、ルイスなのだ。

ところで、主人公ルイスと書いたが、2巻、3巻を見ると、主役はむしろミセス・ツィマーマンのようだ。この後のミセス・ツィマーマンの活躍に期待したい。2巻にはルイスのガールフレンドも出て来るし…。 余談だが、この中に出てくる、灯りをともせる「栄光の手」、ハリー・ポッターの2巻にも出てこなかっただろうか?ローリングは、この物語もチェックしていたかもしれない。


●2001年07月07日(土)
「ちいさいロッタちゃん」&「ロッタちゃんのひっこし」/アストリッド=リンドグレーン


リンドグレーンは、『長くつしたのピッピ』の作者。このロッタちゃんのお話は、映画『ロッタちゃん、はじめてのおつかい』の原作。末っ子のロッタちゃんは、いたずらであまえんぼう。このロッタちゃんと家族の間の出来事を、子供の目から描いた楽しい本。子どもの心理が、大人の思惑を含まずに、生き生きと描かれているのが新鮮。

リンドグレーンは数々の物語を、自分の子どもたちに話して聞かせたとのこと。やはり児童書は、お父さんやお母さんの深い愛情の入ったものが、不朽の名作となるようだ。トールキンの『指輪物語』もしかり、ローリングのハリポタもしかり。本が売れるとか売れないとか以前に、子どもを楽しませたいという純粋な気持ちがあるからだろう。子どもは、そういった本当の愛情を、敏感に感じるのかもしれない。

しかし昔のものだから、訳が少し古めかしい。ロッタちゃんが自分のことを「あたい」と言ったり、「○○なのさ!」などという言葉遣いをしたりするのに違和感を感じる。おてんばな感じを出しているのだろうが、今の子ども達に、そのニュアンスが伝わるだろうか?そろそろ新訳を出してもいいのでは?

●2001年07月08日(日)
 ハヤ号セイ川をいく/フィリッパ=ピアス

セイ川の近くに住むデビッドは、大雨のあと、川でカヌーを見つける。どこから流れてきたのかと、カヌーに乗って川を行くと、持ち主であるアダムという少年に出会う。カヌーで遊ぶうちに、二人の間は固い友情で結ばれ、やがてアダムの祖先の宝を探す冒険へと発展する。古き良き児童文学といった趣に冒険・ミステリーの要素が加わった物語。

デビュー作であるのに、ピアスの語り口はすばらしい。よく考えられた筋立てで、子どもがわくわくするような冒険と秘密に満ちている。主人公の二人の少年の性格の対比もはっきりしているし、彼らの家族の情景も目に浮かんでくるようだ。それに、この二人の少年の素直でお行儀のよいこと!私は個人的にこういう少年たちの物語は好きである。

変に悪ぶった不良少年の話は、あまり好きではない。なので、『ハックルベリー・フィンの冒険』などのピカレスクものよりは、こういったwell manneredな子ども達の話のほうが、ずっと心穏やかに読める。

またこの時代、父親の存在の大きさというのは、絶対的なものがあったのだと改めて思った。例え、死んでいようが生きていようが、である。そういった家族の描写を読むのも、心が安らぐような気がする。かなり分厚い本で、途中中断もしていたのだが、半分以降は一気に読んだ。


●2001年07月09日(月)
 その他児童書 姪用に用意した本。どれもかわいくて面白い。

『長くつ下のピッピ』/アストリッド・リンドグレーン

内容(「MARC」データベースより)

世界一強い女の子ピッピのとびきりゆかいな物語。となりの家に住むトミーとアンニカは、ごたごた荘でサルと一緒に自由気ままに暮らしているピッピがうらやましくてなりません。90年刊の新版。





『リサひこうきにのる』/アン・グットマン

Amazon.co.jp

リサが1人でパリからニューヨークへ向かいます。初めての飛行機での1人旅では、いろんなできことがおこりました。リサの席は「ブルーレディ」(青い洋服を着ているから)のとなり。でも、リサがゴソゴソしすぎたのか、どこか別の席へ行っちゃった。広々としたシートでおひるねでもしようかと思ったら、なんとトレーにのった機内食がでてきました。それだけではワクワク度が足りないのか、今度は映画(「カウボーイズ・フォーエバー」)が始まります。スクリーンが見えなくて前の座席にもたれたら(リサは小さな犬だから)、おっと、オレンジジュースの入ったコップを倒してしまいました。でも、大丈夫。「ひこうきレディ」がトイレの洗面台でリサを洗ってくれたのです。おまけに、飛行機の操縦室にも連れて行ってくれました。(パイロットさんたちはリサに、石鹸のいい匂いがするね、と言ってくれました。)座席に戻ったころには、リサは「すっかりきれいになって」アメリカに到着です。ストーリーはとっても単純。 本書の魅力は、アン・グットマンの愉快で愛情のこもったストーリーと、あちこちに飛び散ったオレンジ・ジュースのしずくやとてもキュートな洗面台など、ゲオルグ・ハレンスレーベンの細部にまで神経の行き届いたすばらしいイラストにある。飛行機に乗る前の子どもたちにはもちろん、だれが読んでも楽しめる絵本。実にゆかいな「リサとガスパール」シリーズ。


『そらまめくんとめだかのこ』/なかやみわ

出版社/著者からの内容紹介

雨降り続きの毎日。やっと雨があがって、そらまめくんたちが、いつもの広場まで行ってみると、そこは大きな水たまりになっていました。グリーンピース兄弟は、ベッドを船にして遊ぶことを思いつきます。みんなで楽しく遊んでいるのですが、そらまめくんは、ベッドをぬらしたくないので、わがままを言ってピーナッツくんのベッドにむりやり乗り込みます。するとバランスをくずしてどぼーん! 水たまりにおっこちてしまいました。  でも水の中はお花でいっぱい。みんなでもぐって遊び始めると、迷子のめだかのこに会いました。なんとかして、めだかのこをもとの小川まで帰してあげようと、そらまめくんたちは、知恵を絞ります。そして、ベッドの中に水を入れて小川まで運んであげることを思いつきます。 だれのベッドで運んだと思います?それは、誰よりも大きくて、水もたくさん入るそらまめくんのベッドでした。わがままを言っていたそらまめくんも、めだかのこのために一肌脱いだというわけです。やるね!そらまめくん! 待望の『そらまめくんのベッド』の続編、単行本化!


●2001年07月10日(火)
The House With a Clock in Its Walls/John Bellairs

ルイスと魔法使い協会シリーズ(1)

交通事故で両親を失ったルイス少年は、おじのジョナサンの家に引き取られる。おじさんの家には、たくさんの時計があった。やがておじさんが魔法使いだと知ったルイス。おじさんばかりでなく、隣のミセス・ツィマーマンも魔女だった。二人とも、何か重大な秘密を隠しているようなのだが…。

ルイスが学校に行くようになると、タービーという友達ができる。タービーはスポーツも万能な人気者だったが、太ったルイスは野球さえ満足にできないので、タービーに馬鹿にされてばかりいた。何とかタービーの興味を引こうとして、丘のてっぺんにある墓地で、魔法を使ってみせることを約束してしまう。見ては行けないと言われていたおじさんの本から、魔法の呪文を勉強したルイスは、自分でも知らないうちに霊廟の中の魔女を呼び出してしまう。彼女はアイザック・アイザードという邪悪な魔法使いの妻で、世界の終りを次げる時計を動かして、この世界を破滅に導こうとしていたのだ。そして、魔女とミセス・ツィマーマンとの戦いが…。

この本の挿絵は、エドワード・ゴーリーである。挿絵のイメージも加味されて、不気味で恐ろしい雰囲気となっている。得体の知れない車に追いかけられたり、死んだはずの人間が真夜中に訪ねて来たり…。 特に派手な見せ場はないものの、じわーっと怖いのである。主人公のルイスは根っから弱虫で、よせばいいのに、いろいろな所に首を突っ込む。そうして怖い思いをして、すぐ泣いたり、失神したりするのだが、徐々にルイスがいとおしくなってくるのが不思議。ルイスはマナーのきちんとした、とても良い子で、全然さえなくてヒーローにはほど遠いのだが、すぐに泣いたりしてしまうところが、子どもらしくてかわいいじゃない!という感じだ。

しかし、最後に魔女をやっつけるのは、ルイスなのだ。 ところで、主人公ルイスと書いたが、2巻、3巻を見ると、主役はむしろミセス・ツィマーマンのようだ。この後のミセス・ツィマーマンの活躍に期待したい。2巻にはルイスのガールフレンドも出て来るし…。 余談だが、この中に出てくる、灯りをともせる「栄光の手」、ハリー・ポッターの2巻にも出てこなかっただろうか?ローリングは、この物語もチェックしていたかもしれない。


●2001年07月11日(水)
The Vile Village/Lemony Snicket

(A Series of Unfortunate Events Book7)
「不幸シリーズ」7巻目。バスに揺られて、カラスが群れ飛ぶ、老人ばかりの奇妙な村にやってきたボードレールきょうだいは、おかしな規則に守られたその村で、「なんでも屋」のヘクターに引き取られて暮らすことになった。そのヘクターの家の前で、オラフ伯爵に誘拐されたイサドラの詩を発見する。

何はともあれ、友達を救おうとするきょうだいの前に、またしてもオラフ伯爵が立ちはだかる。 今回の最大の謎は、凶悪犯オラフに間違えられて、殺されたジャックス・スニケットとは何者か?ということだ。きょうだいの両親の死の真相をも知っているかのようなスニケットであったのだが…。

ヘクターに助けられて、無事その村から脱出できるかと思われたが、謎に満ちたまま、またしてもダンカンとイサドラと別れなければならない3人。村に残された3人は、これからどうなるのだろう? はなから8巻目に続く予感をふくみながら、3人のきょうだいの不幸話が続く。それでも親友を思いやる彼らの気持ちが涙を誘う…。しかし、いつにも増して素っ頓狂なオラフ伯爵の扮装がおかしい。 この巻で、クラウスは13歳になり、サニーがひとりで立てるようになる。この先も、まだまだ不幸な目に会いながら、彼らは成長していくのだろう。合掌!
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2001年6月 


2001.06.30
Sat
06:18

●2001年06月01日(金)
The Austere Academy/Lemony Snicket 

ヴァイオレット、クラウス、サニーのボードレールきょうだいの「不幸な出来事」シリーズ第5巻。 今回3人のきょうだいは、学校に預けられる。この学校の副校長であるネロは、自らを偉大なバイオリニストであると称して、生徒たちに毎晩自分のバイオリンを聞かせるのを日課としている。その腕前たるや、バイオリンを弾けない人がバイオリンを弾いているといった程度。このネロはまた人の口真似ばかりしており、それがどれほど不愉快なものか、改めて思い知った次第である。

この学校で、きょうだいにダンカンとイサドラという友達ができる。二人は三つ子(だったのだが、一人は死んでしまった)で、同じく孤児であった。 副校長のネロをはじめ、毎日自分のくだらない話を書き取りさせる、バナナばかり食べているゴリラみたいな顔のレモラ(コバンザメ)先生、何でもかんでも寸法を計らせるバス(ブラックバスなど)先生、そして意地悪な生徒のカーメリータ・スパッツと、とんでもない人物ばかりの学校だが、そこに新任の体育教師、ジェンギスがやってくる。

彼こそまさにオラフ伯爵その人なのであるが、例によって大人は誰も信じない。ジャージにハイカットの高価そうなスニーカー、頭にはターバンという異様ないでたちであるにもかかわらず、ターバンに眉毛が隠れ、ハイカットのスニーカーに刺青が隠されているので、まったく気がつかない(そんな、ばかな!)のである。

ネロは自分の素晴らしいコンピュータに、オラフ伯爵のデータが入っていて、それと一致しないという理由で、きょうだいの話をまるでとりあわない。 そうしているうちに、きょうだいはジェンギスからS.O.R.E.(Special Orphan Running Exercises)プログラムと称した過酷なエクササイズを強いられる。その上、疲れ果てて勉強に身が入らないきょうだいに待ち受けていたのは、厳しいテストだった。そして、副校長の秘書をしているサニー(赤ん坊なのに!)には、お手製のホチキスの針を作るという辛い仕事が待ち受けていた。この苦境を救おうと身代わりになるダンカンとイサドラだったのだが・・・。

今回は、かろうじて体育教師ジェンギスの正体がオラフ伯爵であるとわかりはしたものの、身代わりになったダンカンとイサドラがオラフ伯爵にさらわれてしまう。何とか助けなければ!というところで話が終わっている。これまでより話の進み具合が遅いと思ったら、次の巻に続いていたのだ。連れ去られるダンカンが最後に残した「V.F.D.」という謎の言葉。これが非常に気になるので、早速第6巻に手を伸ばすという趣向。スニケットの本名であるミステリ作家のダニエル・ハンドラーの一面が見える巻である。

ところで毎巻末に、スニケットが出版社の編集者に宛てた手紙(次号予告のようなもの)がある。これが個人的には非常に楽しみである。毎回いろいろな趣向をこらし、前回はノートのぼろぼろの切れ端、今回はばかばかしいくらいにファンシーな便箋といた具合。内容も面白いのだが、そういう細かいところにこだわるスニケットのユーモアが、非常におかしい。しかし、ボードレールきょうだいの行方を追って、どんな状況でこれを書いたかといったいきさつも書いてあり、これもまた作品の一部なのである。


●2001年06月02日(土)
The Ersatz Elevator/Lemony Snicket 
 
(Series of Unfortunate Events, 6)

5巻で不幸続きながらも友達ができ、一時楽しい思いもしたボードレールきょうだい。しかし最後には、その友達(ダンカンとイサドラ)がオラフ伯爵に誘拐されてしまう。この第6巻は、その続きである。というか、友達が誘拐されたという状況も、毎回のオラフ伯爵の登場同様、この先必須の設定なのかもしれない。なぜなら、結果を先に言ってしまえば、この巻でもまたダンカンとイサドラは、オラフ伯爵に連れ去られてしまうからだ。

 さて今回は、両親が生きていた時に住んでいたシティーに戻って来る。ダークアヴェニューという通りの48階だか84階だかよくわからない高層ビルの最上階のペントハウスに住む、ジェロームとエズメという夫婦に引き取られる。しかし、ビルのエレベーターは壊れていて使えないときた。

とにもかくにも、屋根のある場所で、それぞれの個室をあてがわれ、食事も不自由なく、ということであれば、彼らにとっては幸運なほうだと言えるだろう。 しかし、水で作ったマティーニとかパセリソーダとかを、飲みたくもないのに飲まされるのはまだいいとしても、やはり辛いのは最上階までの階段の上り下りだろう。うへえ!

ある日のこと、ガンサーというオークショネアがやってくる。ジェロームの妻のエズメと共同で、オークションを開催するためだ。もちろん、これがオラフ伯爵である。例によって、きょうだいはすぐに気が着くのだが、大人たちはいくら言っても信じない。しかも今回は、妻のエズメがオラフ伯爵の仲間だったというのだからなおさらだ。

そして、使えないエレベーター!今回の鍵はここにある。このエレベーター(タイトルどおり、にせのエレベーターなのだが)をめぐり、末っ子のサニーが嘘みたいな大活躍! 最後にオークション会場で、事はハッピーエンドに終わりそうな感じはするが、やっぱりそうは問屋がおろさない。

5巻で、ダンカンの残した謎の言葉「V・F・D」とは一体何か?全てが明らかになったものの、ボードレールきょうだいは再び失意のどん底へ! 今回ももちろん面白かったのだが、6巻も続くとさすがにだれてくるのか(作家も読み手も)、思うようにテンポが上がらない。これまでのような楽しさがない。読み手の意識が、ボードレールきょうだいの身の上よりも、ダンカンとイサドラのほうに向いてしまっているのが原因か?とも思う。そして、どうやら7巻でも、ダンカンとイサドラは戻って来ないようだ…。


●2001年06月03日(日)
その他児童書

感想なし。

How to Read in the Dark/Anne Fine Wonderful Woody/Patricia Cleveland-Peck Playing Princesses/Adele Geras The Troll's Story/Vivian French The Cat and the Mermaid/Shirley Isherwood Horrid Henry/Francesca Simon FlowerPotamus/Michael Lawrence Tool Trouble at Smallbill Garage/Willy Smax Piggo and the Pony/Pam Ayres Lottie's Letter/Gordon Snell Rory, The Deplorably Noisy Baby/Paul and Emma Rogers


 『おさわがせなバーティくん』/ケネス・グレアム
内容(「MARC」データベースより) 行動的な黒ぶたのバーティは退屈のあまり小屋を抜けだしクリスマスのキャロリングをしようとします。でも犬に追われたあげく…。グレアムが息子のために書いた楽しい物語。挿絵は『くまのプーさん』のアーネスト・H・シェパード。


●2001年06月04日(月)
悪童日記/アゴタ・クリストフ 

以前から気になっていた作品だが、ブコウスキーあたりとイメージがごちゃまぜになっていて、手が出なかった本である。しかしハヤカワのepi文庫に入ったことにより、読んでみようかと決心がつく。

まず言わなければならないことは、ブコウスキーあたりのイメージ(これもあんまり定かではないのだが、なんとなく・・・)を読み始めて即座に取り消さなければならなかったことである。今やこのイメージは、忘却の彼方である。 この本は、あまりにも有名になっていて、私がどうこう感想を書くまでもないのだが、私なりの正直な感想を言うと、「すごい!」という一言だ。

それにこの悪童たちの正直な生きざまはどうだろう!子どもたちのすごさに圧倒された。 戦争という特殊な状況のもとで、あたりまえの常識が通用しない世界にあり、自分たちのアイデンティティーを貫き通すたくましさは、驚きでもあり、うらやましくもあった。だが、彼らの基本にある特別な正義感は、ときにキラリと輝きを放つ。していることが異常でも、精神には純粋なものがある。子どもたちの生活を通して、当時の社会状況が手にとるようにわかる。けして尋常でない状況にあり、彼らは自分たちの信念に絶対的な自信を持っている。それはなぜだろう?

この社会にあって、周りに気を使って生きることは必然とも思えるし、また実際に自分のこと以外で疲れ果ててしまう場合も多いだろう。そもそも「気を使う」ということは不自然である。心からの行動であれば、「気を使う」こともなく、自然に行動できるはずだ。しかし人々はみな、自分を押し殺して、社会を丸く収めるために、気を使わざるを得ないといった状況。だから疲れるのだ。自分の基準に合わせるのではなく、他人の基準に合わせているからだ。これが社会においては生きていく技なのかもしれないが、精神的にはけしていい状態ではないはず。

 だが、ここに出てくる子供たちは、絶対的な「個」がある。人に何かをするときも、自分たちがしたいと思うからするのであり、自分たちの基準に合わないことは絶対にしない。それが一般の社会で通用するかどうかはともあれ、このことは、全編を通じてうらやましい生き方であると思えた。

感情を一切排した文章には、余計な部分がまるでない。犯罪も性も暴力も、淡々と同じ調子で書かれているのみだ。それがかえって生々しく、読む側に衝撃を与えるのではないだろうか。この作品は、さらに2作を含めた三部作となっている。もちろん全部読むつもりである。


●2001年06月05日(火)
日の名残り/カズオ・イシグロ 

偶然にも今、この本の感想を書いているノートに、数年前にNHKのラジオ講座でイギリス文学の特集をした時の、解説のメモが書いてあった。前後を見てみると、ディケンズやイーヴリン・ウォー、サマセット・モーム、ジェーン・オースティン、オスカー・ワイルド、トマス・ハーディー、D・H・ロレンスといった、そうそうたるメンバーの名前が載っている。

この時、カズオ・イシグロもずいぶん有名になったものだと思ったものである。カズオ・イシグロという日本名をあちら風にカタカナ読みした名前が、イギリスという伝統を重んじる国の、文学と言うこれまた長い歴史を持つ分野に登場し、重鎮とも呼べる文学の大家と方を並べているのは、とても興味深かった。その時のテキストが、この『日の名残り』であった。

引用箇所は、主人公スティーヴンスが執事の品格とは何かについて述べている部分。物語の中でも、最もイギリスらしいと言える部分なのである。 5歳のときに渡英したイシグロは、文化的には全くの英国人と言っても過言ではないと思うが、やはり日本人の血が流れていると思うと、そういう人物がイギリスの文化を、しかも良くも悪くも最もイギリスらしいと思われる部分を文学として描いているということは、私のようにどっぷりと日本から抜け出せずにいる者にとっては、驚くべきことである。

しかし、もしかすると完全にイギリス人ではないがために、冷静な目で「イギリスらしさ」を追求できたのかもしれない。 物語のほうはというと、語り手である主人公の執事が、今や過ぎ去りし栄光の日々とも言うべき過去の時代をふり返る話である。丸谷才一氏の解説には、「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺している」とある。そして「スティーヴンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋心もわからぬ程度の人間の鈍感さにすぎない」ともある。私が感じたのも、改めて言葉を変えて言いなおすまでもなく、この2点に尽きる。久しぶりに落ち着いた小説を読んだという感じで満足ではあるが、もっと細かいところまで入り込むには、再読の必要ありだろう。

余談ではあるが、翻訳の土屋政雄さん(『イギリス人の患者』『アンジェラの灰』『コールドマウンテン』などの訳者)のあとがきが興味深かった。氏が訳された作品をみればわかると思うが、真面目でシリアスな純文学が多く(しかも分厚い!ご本人の好みとは関係なく、この手の本の依頼が多いそうだ)、ご本人もそういう方なのだろうかと思っていたところ、フィンランドでニューズウィークを買ったが、本当は無修正のペントハウスとプレイボーイが欲しかったと書いてあったので、なぜかほっとしたと同時に親しみを覚えた。

その旅の恥をかき捨てられなかったフィンランドで、今更取りかえることもできないニューズウィークに、イシグロが『日の名残り』でブッカー賞をとったことが載っており、いつかこんな本を訳してみたいと願った氏は、なんと1週間後にその願いがかなったという。 私は、この『日の名残り』は今後、文学の殿堂入りをして、居並ぶ大家の作品と共に後世に残っていく作品のひとつと思うし、今回ハヤカワのepi文庫の第1回の配本に入ったことで、またさらに多くの人が手に取るようになるだろうと思う。今では土屋氏も、ペントハウスやプレイボーイではなく、ニューズウィークを買ってよかったと思っているのではないだろうか。


●2001年06月06日(水)
ジャンとジュール(BOOK PLUS)/ルージャ・ラザロヴァ 

ジャンとジュールはミュリエルのおっぱいの名前。彼女のおっぱいは、それぞれに人格を持っており、ミュリエルは気づいていないが、ミュリエルがおっぱいを意識し始めたときから彼女と共に人生を送っている。ミュリエルの生活を通して体験するさまざまな出来事、出会いと別れに対して、ジャンはジャンなりに、ジュールはジュールなりにそれを受け止め、時には批判しながら生きていく。 もちろんミュリエルのおっぱいなのだから、彼らが別の人生を歩むことなどできない。ましてや、人生が嫌になったからといって、自殺など望めないのである。だが、ジャンが死んだ。ジュールを残して、乳がんのためにジャンは死んでしまったのだ。

女性にとって、おっぱいとは何なのだろう。初めて意識した時には、恥ずかしいものであり、隠したいものだったのに、そのうち誇らしいものに変わり、なるべく目立つように気を使ったりするようにもなる。パートナーができたり、赤ちゃんが生まれたりすれば、自分だけでなく、彼らのためにも大事な大事なおっぱいである。 おっぱいが死ぬということは、ある意味では女性の死をも意味することかもしれない。おっぱいは女性に生まれたがゆえに、一喜一憂させられるもの(それは男性が男性に生まれたがゆえにということと同様のものであるとは思うが)。 しかし、男性が男性たるゆえんであるものとは違って、おっぱいはその外見だけで、女性の人生を変えてしまったりする場合もある。そんなことを痛切に感じさせられた話である。

●2001年06月07日(木)
ヴァン・ゴッホ・カフェ/シンシア・ライラント 
 
これは児童書のコーナーに置いてあった本である。しかし、おしゃれな絵といい、内容といい、立派に大人が読むに値する本だ。もちろん大人が読む本だからいい本というわけではないが。 カンザス州フラワーズにあるヴァン・ゴッホ・カフェは、その昔劇場だった。だから不思議なことがおこるのだという。カフェをやっているのは兄のマークと妹のクララ。クララはカフェに起こる不思議なことを「魔法」と呼んでいる。 そんな不思議な出来事を書いてあるのがこの本だ。

ひとりでに料理ができてしまう話。マークが書く詩が未来を予言する話。ひとりでに増える不思議なマフィンの話。猫がカモメに恋した話などなど…。不思議だなと思って読んでいると、昔大スターだったエレガントな紳士の話が出てきた。思わず目頭が熱くなった。1時間もあればゆっくり読み終える本だが、しっかり感動する。 誰が主人公というわけではない。それぞれの話のそれぞれの登場人物、あるいはカフェのお客さんが主人公だろう。しかし本当の主人公は、妹のクララに違いない。彼女の好奇心と、不思議な出来事にも動じない飄々とした態度は、あたたかく、ほほえましい。どんな魔法が起こっても、クララは驚かない。なぜなら、ここはヴァン・ゴッホ・カフェだからだ。


●2001年06月08日(金)
人魚の島で/シンシア・ライラント 

主人公のダニエルは、おじいさんとカナダのコキール島に住んでいる。友達もいない孤独な少年は、ある日人魚に出会い、その人魚からもらった古い鍵に守られて、大人になっていく。 小さな島での不思議な生活。生と死が入り交じりながらも、いつしかそれが自然のことであると思えてくるような物語。大好きなおじいさんが死んで、一人ぼっちになってしまった少年の孤独や悲しみ、やがてそこから真実を知り、大人になっていく少年の成長の過程が、切なくもあたたかく、胸に迫る。 いつしか少年はひとりぼっちではなくなっている。それを教えてくれたのは、あの人魚だということに気づいたダニエルは、「ありがとう」と書いた手紙を瓶につめ、海に流す。静かな感動。


●2001年06月09日(土)
天国に近い村/シンシア・ライラント
 
人間が死ぬと、天国という、すばらしいところに行くといわれています。でもあるひとたち、天国へと足をふみだしてためらっている人達は、<天国に近い村>というところに行くのです。 この話は、人(あるいは動物)が死ぬということを前提にしている。死んだらどこに行くのだろう?どうなってしまうのだろう?誰でも少なからず、死ぬことを怖いと思っているのではないだろうか?やりかけのことがあったり、思い残すことがあったらどうするんだろう?その場合は、この<天国に近い村>に行けばいい。ここでは時間も自由だし、好きなところにも行ける。でも、ここに来ると、皆いい人になるのだ。ちゃんと神様が、そういう手配をしてくれるからだ。 こんな村があったら、死ぬのはきっと怖くないし、お別れした人達ともまた会えると思えば、ちっとも寂しくなんかないだろう。


●2001年06月10日(日)
小さなトロールと大きな洪水/トーベ・ヤンソン
 
ムーミンシリーズの幻の第1巻。ムーミントロールはムーミンママと一緒にパパを捜しに行く。途中でスニフや花の中に住むチューリッパと出会い、川を渡り、お菓子の国を過ぎて旅を続けるうちに、洪水に会う。 流れてきた瓶を拾うと、中にはパパの手紙が!そうして水の中を進むうち、ようやくパパに出会う。行きついた所には、パパが建てたステキな家が流れ着いていた。そしてそこからみんなが知っているムーミン谷の物語が始まるのだ。


●2001年06月11日(月)
ゆかいなホーマーくん/ロバート・マックロスキー 

ホーマーくんの家は、観光客用のキャンプを経営している。お母さんは宿泊人の世話をし、お父さんはガソリンスタンドの管理。そして、ホーマーくんは両親の手伝いをしながら、学校へ行ったり、ラジオの組立てをやったり…。 スーパーマンの登場や、自動ドーナツ製造機など、高度成長期の機械開発がアメリカ国民に与えた希望といった面も垣間見える、古きよきアメリカという感じのユーモラスでほほえましいお話。 ネズミ捕りの話はハメルンの笛吹き男を思わせる、ちょっとどっきりの話だ。名前のホーマーは、もちろんホメロス。ユリシスおじさんの名前はユリシーズである。さりげなくギリシア神話も入っている。


●2001年06月12日(火)
ドラゴンがいっぱい!/イーディス・ネズビット 

エヴリデイ・マジックの創始者ネズビットの短編集。いろんなドラゴンが登場して、とても楽しいお話なのだが、翻訳がどうにもひどい。作者のネズビットが気の毒になるほど。子どもに読ませるときには、講談社の青い鳥文庫以外のものを薦める。

●2001年06月13日(水)
魔法使いハウルと火の悪魔/ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 

魔法が存在する国インガリーの帽子屋の長女ソフィーは、荒地の魔女に90歳の老婆に変えられてしまった。家族を驚かせたくないと家出したソフィーは、空中に浮かぶ城に住む、若い魔法使いハウルの掃除婦として住み込む。 うぬぼれ屋で移り気なハウル、そのハウルに魔力を提供している火の悪魔カルシファー、ハウルの弟子のマイケル。ばらばらのように見えた彼らも、最後には力を合わせて荒地の魔女と戦う。自らも魔力が備わっているとわかったソフィーには、意外な結末が! オックスフォードでトールキンに師事したこともあるというジョーンズだが、さすがにテンポもよく、ほかの子供向けファンタジーとは一味違う。ところどころに、有名な児童文学や文学作品が出てくるのも、興味深い。もちろんイギリスのファンタジーだけに、アーサー王伝説も取り入れられている。


●2001年06月14日(木)
チョコレート工場の秘密/ロアルド・ダール
 
貧しい少年チャーリーに、世界一のお菓子工場見学の金券があたった。招待された5人の子どもたちにつぎつぎとあかされる、アッと驚く工場のものすご~い秘密! ほんとにこれはものすごい!こんなお話だったら、子ども達はどれだけ夢中になるだろう。愉快だけれど、しっかり教訓も入っている。ダールが一番言いたかったのは、テレビなんか見ていないで、本を読みなさいということだろう。このお話から、どんなに豊かな想像が飛び出てくることか!想像するってことは、どんなに楽しいか!もうテレビやゲームなんて、捨てちゃいなさい!


●2001年06月15日(金)
ロビンソン漂流記/ダニエル・デフォー
 
この物語はあらすじだけは知っていたが、ちゃんと読んだことがなかった。だから無人島で、ロビンソン・クルーソーがどんな小屋に住み、何を食べて生きていたのか、またどうやって助かったのかなどという詳しいことはよく知らなかった。

本書は講談社の青い鳥文庫という児童向けの本だが、翻訳は中野好夫さんである。中野さんと言えば、サマセット・モームなどを訳している素晴らしい翻訳者である。またスウィフトの研究者としても有名で、もちろん『ガリヴァー旅行記』も訳している。 デフォーはスウィフトと同時代の作家であるし、同じ冒険譚でもあるから、中野さんとしてはお手のものだろう。そういうわけで、この本は児童向けに訳されているとはいえ、大人向けの本に負けない立派な訳であろうと期待して読むことにした。

中野さんはすでに故人で、今となってはいささか古い言葉使いであったりするのだが、少しもひっかかるところのない、流れるような文章は見事であるし、英語が透けて見えてこないところなどもさすがである。私ごときが中野さんの翻訳をどうこう言える立場でもないのだが、あえて翻訳にこだわっているのは、こうしたもともとは大人向けの物語でありながら、児童向けに訳し直されているものというのは、往々にしておかしな訳が多く、がっかりさせられることがしばしばあるからだ。その点で、この本は非常に満足できるものだった。

有名な物語だから、内容を今更書くこともないだろうと思うが、ひとことで言えば、ロビンソン・クルーソーが家出をして船に乗り、その船が難破し、一人無人島に流され、27年2ヶ月と19日の間、その島で暮らしたという冒険物語である。 この本が出版された当時は、『ガリヴァー旅行記』とともに、大変もてはやされたようである。何もないところで、知恵と工夫によって暮らしていく様は、いつの時代でも面白く読めると思うが、現代の物が余っている時代の子どもたちは、どのように感じているのだろう。私たちの年代では「子どもの頃にわくわくしながら読んだ」という人が多いが、果たして今の子どもたちもそんな気持ちになるだろうか?そんな冒険に対する夢が少しでも残っていてほしいものだと願わずにはいられない思いがした。

最後に、この物語は実話ではない(実話と思っている人も少なくないようだ)。なのに、まるで実際に経験してきたかのように、生き生きとリアルに描かれている。それがデフォーの想像力の素晴らしさなのだ。映像も何もない昔の人のほうが、想像力ははるかに豊かであったに違いない。現在では本がヒットすると、すぐに映画化されたりする。読み手の想像力は、貧弱になるばかりだ。


●2001年06月16日(土)
ダレン・シャン─奇怪なサーカス/ダレン・シャン

「ハリー・ポッターの作者、J.K.ローリングが激賞!」という鳴り物入りの物語。主人公の少年ダレンが、シルク・ド・フリークっというサーカス(日本では見世物小屋のようなもの)を見にいったことで、自体は思わぬ方向へ。ダレンはバンパイアに、それも人間とバンパイアの血が半分ずつという体になってしまうのだ。

この第1巻は、バンパイア、ダレン・シャンが、バンパイアになるまでのいきさつといったところ。 個人的には、これ以降のシリーズを読む気にはならない。物語が面白くないわけではなく、テンポよくどんどん読めるのだが、翻訳のせいかどうか、妙にバタバタと騒がしい感じがして、奥深さを感じられなかった。本の冒頭で、すでにシリーズの全体が(筋がという意味ではない)見えてしまったような気がする。

最初に引用したので、あえて比較すれば、ハリー・ポッターシリーズのほうが、はるかに芸が細かく、この先の予測もつかないので、楽しみである。ハリー・ポッターの最初の数ページを読んで感じたワクワク感も、こちらにはない。ちなみに原書を少し読んでみたところ、この本は、できれば原書で読むべきであると強く思った。こういった児童文学の場合、会話部分の訳はとても重要だと思う。ダレン・シャンは、そこで失敗しているような気がする。

category: 過去の感想

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